仏の教えが広がっていくことを示唆する転法輪。
車輪の形をした転法輪を見ていると、なぜか人類の長い歴史に思いを馳せることになります。移動手段としての車、世界各地の工場で活躍する歯車等々、まさしく大車輪の活躍なくしては人類の繁栄は有り得ませんでした。
四天王寺極楽門にある転法輪。
お釈迦様は悟りを開いた後、各地を回りながら仏の教えを説き続けました。言うに言えないご苦労もあったものと思われます。
世界中に広まりゆく釈迦の教えは、転法輪の姿に凝縮されているような気が致します。まるで池の中に石を投げ入れたときのように、法の輪が同心円状に広がります。あるいは同心円状ではでなくても、ローリングストーンズのように未来永劫に転がり続けます。
A rolling stone gathers no moss. 転石苔を生さず。
四天王寺の五重塔が見えますね。
絶え間なく脈動する仏の教え。何事にも動じることなく、ひたすら生き続ける釈迦の教え。
ベアリング業界のNTNやジェイテクトのお陰で、現在の繁栄を享受している私たち。仏教界と産業界に一つの共通項を見るような思いが致します。
四天王寺参拝の際には、この転法輪を右に回してお祈りをするわけですが、とても意味のある行為だと思います。仏法における象徴的行為と言ってもいいのではないでしょうか。
四天王寺の極楽門。
極楽門の向って右手前に布袋堂が佇みます。
子育てや安産の祈願に訪れる人の多い布袋堂ですが、その布袋堂のすぐ近くに極楽往生に通じる極楽門があります。四天王寺は宗派を問わない何でもありのお寺だとはよく聞きますが、日本仏教のテーマパークを楽しんでいるようで、とても居心地よく過ごすことができます。
極楽門向って左手前には親鸞上人の像が建ちます。
その香炉にも、転法輪の印が見られました。
非僧非俗を胸に刻み、民衆の間に下りて行った親鸞上人の足取りも、やはりどこかお釈迦様の布教活動に似ているのでしょうか。
私は20代の頃、会社の法人営業を担当していた時代があります。
営業を始めて間もない頃は、立派な能書きを垂れるより、足で稼ぐ営業マンになれとよく教えられました。「足で稼ぐ」という言葉には、社会人としての基本姿勢が込められています。転法輪の世界にも通じるものがあるのではないでしょうか。
四天王寺の転法輪からは、実に様々なイメージが広がっていきます。