四天王寺の六時堂の北側に大黒様が祀られています。
大黒堂に手厚く祀られているのは、三つの顔を持った三面大黒天様です。仏像のランクからいえば、如来、菩薩、明王、天の「天」に当たる仏像ということになりますが、それだけ庶民に近い存在として信仰を集めてきたものと思われます。
大黒堂の拝観受付で三面大黒天の置物を発見。
確かに三つの顔をお持ちでいらっしゃいます。手には剣や転法輪のような物が見られます。剣といえば戦いの神を想像しますが、それもそのはず、正面向かって右側が毘沙門天なんだそうです。真ん中が大黒天、左側が弁財天の組み合わせです。
元三大師堂から東へ向かうとすぐに、三面大黒天が祀られる大黒堂が見えて参ります。
耳から聞こえる言葉により、様々なものが交錯してきたのが日本の歴史です。大黒天はダイコクという発音から、日本古来の神様である大国主命と同一視されるようになります。大国主(オオクニヌシ)といえば、国造りの神様として有名ですよね。
戦国時代の武将である豊臣秀吉も、三面大黒天を信仰していたと伝えられます。
国造りに天下統一、秀吉が信奉していたのも頷けます。
四天王寺は聖徳太子の創建になりますが、戦いの神である毘沙門天との関係にも深いものがあります。仏教擁護のために物部氏と戦った時、信貴山において毘沙門天に勝利を祈願している聖徳太子。歴史の系譜が全てつながっていきます。
大黒堂の香炉に描かれていた紋。
これは「違い大根」ですね。
交差する大根の紋。性を司る歓喜天を祀るお堂でよく見かける紋です。また、大根の白色には、無病息災の願いが込められているとも言われます。大根を食べると、体内に貯まった毒や煩悩を消す効果があると言い伝えられます。
清廉潔白の ”白” も連想させますよね。
奈良の矢田寺で見た違い大根の先っぽは二つに分かれていませんでしたが、こちらの大黒堂の違い大根紋の先っぽは二つに割れています。なぜでしょうか?その理由を知りたいところです。
そもそも大黒天の起源を辿れば、インドの破壊と再生の神であるシヴァ神に行き着きます。
女神の格好をしたシヴァ神は、インドでも三つの指に入る尊い神様として知られます。破壊と再生、それに戦いの神であったシヴァ神は、中国に伝わり飲食の神として信仰されるようになります。ここで飲食と大根がつながります。中国の神の影響も受けているのでしょうか?
その後、日本に入ってきて七福神の一角として信奉されるようになりました。
シヴァ神が由来になっていることを知ると、大黒天には女性の影が見え隠れします。
大根は女性の足を表現しているのでしょうか?
今となっては、「大根足」は女性に対する侮辱になりかねませんが、先っぽが二つに割れている大根を見ればみるほど、なまめかしい女性のおみ足に見えてくるのです。面白い形に成長した野菜が、新聞紙面を時々賑わせていることがありますが、ちょうどあの感覚に似ています。
三面大黒天に弁財天が含まれているのも何か関係があるのでしょうか。
女性の姿をした弁財天は音楽や芸能の神様として知られます。
一度に三方面からの願い事を聞いて下さる三面大黒天。とにかく贅沢な神様です。観音霊場のお砂踏みにも似て、時間の無い人には有り難い仏像ではないでしょうか。
三面大黒天の歴史は、遣唐使だった最澄が日本へ持ち帰ったのが始まりとされます。比叡山に祀られた三面大黒天は、その後江戸時代になってから四天王寺へ移されることになります。
秀吉とねねの所縁の地である、京都東山の高台寺圓徳院にも三面大黒天が祀られています。今度、京都へ足を運んだ際には是非訪れてみようと思います。