天保山の歴史をご案内致します。
天保山・大阪ベイエリアといえば、USJを筆頭とする大阪屈指のリゾート地として全国にその名を知られます。
天保山というのは通称で、公式には目標山(めじるしやま)と呼ばれていました。
港に入港する船舶の目印として、その役割を担っていた歴史を持ちます・・・大阪市の市章である澪標にも通じるところがありますね。
海遊館のグッズ売場。
海遊館を象徴するジンベエザメのぬいぐるみ。
「天保山名所図会」を紐解くと、安治川の川浚え(かわざらえ)の様子が描かれています。
さんぬる天保2年(1831年)の春、徳川幕府が大坂の港口をはじめ川々の底を大ざらえし、その土砂をもって、新しく広大なる土地を埋め立て開発し、港に入ってくる船舶の目印のために小高い岡を築いた。世人がこれを天保山と称した。
・・・と記されています。
海遊館。
江戸時代末期の人々がボランティア活動で、安治川の川ざらえをし、土砂を盛り上げて出来たのが天保山なのです。
天保山には松や桜が植樹され、大坂人のレジャースポットとして栄えました。
江戸幕府の防衛基地として、砲台が築かれた歴史をも併せ持つ天保山・・・。
天保山を象徴するマーメイド像。
天保山は日本一低い山としても知られます。
標高4.53mの二等三角点として、ちゃんと建設省国土地理院にも認定されています。
天保山の大観覧車。
”浪華津の目標山”と詠われた天保山ですが、今となってはこの大観覧車が大きな目印となっている感があります。
天保山観光の折には、天保山の歴史に思いを馳せてみるのもいいですね。